煩悩深無底 生死海無辺

浄土は悟りの世界(方便法身
いろもかたちもない悟りの世界(法性法身
分別の世界と無分別の世界

アジャセに語る釈尊の言葉が長いことわからなかった。
瓜生師は「七地沈空」で見事に説明した。
これが、釈尊と六師外道の違い。

私の煩悩と仏のさとりは、仏の方からは一つだけど、
私たち凡夫からは到底一つとは言えない。
そう言ってしまうことも私たちの煩悩(有有見)になってしまう。
空見にとらわれている人も有有見なのだ。

 

あらゆる衆生は、煩悩に流され迷いに沈んで、まことの回向の心がなく、清らかな回向の心がない。そこで、阿弥陀仏は、苦しみ悩むすべての衆生を哀れんで、その身・口・意の三業に修められた行はみな、ほんの一瞬の間に至るまでも、衆生に功徳を施し与える心を本としてなされ、それによって如来の大いなる慈悲の心を成就されたのである。そして他力真実の欲生信を、迷いの衆生に施し与えられたのである。すなわち、衆生の欲生心は、そのまま如来が回向された心であり大いなる慈悲の心であるから、疑いがまじることはない。