NHK+で「最深日本研究」という番組があり、「和算の研究」をしている思想史学者アントニア・カライスルさんの事を取り上げていた。
まず、アントニアさんは専門が思想史で数学は苦手だという。
そもそも思想史として、「公理をもとに論理的推論によって定理を導くというユークリッド的手法」が、ヨーロッパの哲学や科学に与えた影響を調べていた。そして、イエズス会によって、日本列島にもこの「ユークリッド的手法」が伝えられたけれども、その影響が全く見つからない。それはこの列島に和算という別の数学文化が存在したからだ。
ではこの二つはどう違うのか。
西洋の数学が「定義・証明を用いた論理的な解法」なのに対して、和算は「証明に基づかない経験的(直観的)に得られた法則を用いる」ことが多い。
これは論理的ではないが、経験的で多様な発見を導き、初心者でも理解しやすい。
つまり、人々は受験や検定の為ではなく、純粋に和算を楽しんでいたのだ。
和算で遊んでいたのだ。
彼女は算額の背景にあるモノや、やり方や考え方の方に興味があるという。
例えば、流派の違いは「術(解き方)」の違いで、流派にとって「術」はコマーシャルのようなものだった。
そして、彼女は日本全国の算額の写真を撮ってアーカイブにしようと考えている。
現在残っている算額は900枚ほど。そしてそのうち半数以上が明治以降という。大正時代の算額も紹介していた。
つまり、明治の学制改革で和算ではなく西洋式の数学が導入されたのに、和算は生き残っていたし、現在も和算研究会という形で全国で生き残っている。私も研究会を作りたい。算額は多くの人が関わるまさにコミュニケーション的理性を育むものなのだ。
だから、算額は歴史的遺物ではなく今も生きており、そこに算額のもつソーシャルメディアとしての働き、つまりコミュニケーション・ツールとして現在も生きているのだとアントニアさんは語る。
算額アーカイブ
Sangaku Archive Index page - Canopy IIIF
彼女は来日して二年間、ひたすらフィールドワークを重ね、全国の算額の写真を撮り続けてきた。500枚を写真に撮り、後400枚。26年の春にこのアーカイブは完成する予定だ。そしてオープンソースで誰でも研究に参加できるという。
ちなみに郡上小野八幡神社の算額は載っていない。
これは私の書いた算額のレポート。
明治維新と学制によって和算は滅びたと書いたけど、これは見直さなくてはならない。
和算の伝統は、学校から「能力主義によって滅びた」と。
番組の中で、和算家に文殊菩薩の光が当たっている絵が紹介されていた。
難しい問題に取り組んでいる時、光が当たるように答えが見えてくる時がある。
そういう様子を描いたものだろうと感銘を受けた。
この光が当たる瞬間がたまらないのだ。
「面白い」という言葉はこの光が当たって顔が明るくなる様を表している。
ちなみに「ユークリッド的手法」はやはり偉大であると思う。
この手法失くしては、スピノザの哲学もニュートンやアインシュタインの生み出した新しい科学も生まれなかった。
番組で登場した和算の問題が面白い。
典型的な和算の問題なので、シートで図を描いてみた。
図を描いてみると、新しい性質が次から次へと見つかってくる。
いろいろ考えてみると、
ユークリッド的手法は、体系的であるがゆえに、原論の命題をたどる傾向になり易い。
和算的手法は、体系的ではないが、与えられた問題を解くのではなく、定理(性質)そのものを自分で見つけ出すところに面白さがあるのだと思う。それは、あくまで具体的であるからだと思う。
ちなみにこの問題を解くのに4日かかった。