市民のための数学

以前、「和算についての一つの考察」で、和算にはガウスに対応する人がいなかったと書いた。
 
私たちは、どうしても数学全体の歴史から和算を位置づけようとする。
だから、同時代のニュートンガウスガロアと対応する人物を探してしまう。
でも、この列島で現代と比べたらどうだろうか。
 
「1+1=2は真理ではなく点数になっている」
と言ったのは竹内常一氏である。
この列島の伝統の和算明治維新であっさり滅び、
数学は子どもたちを差別・選別する道具になってしまった。
 
教室で子どもたちがよく言っていた。
「わけはいいからやり方を教えてほしい」
「結局合っているのか間違っているのか」
「これはテストに出るの」
 
そして、
点数を1点でも上げるためにテストを持ってくる子たちを意欲的だとは思えなかった。
私たちは子どもたちを苦しませ、数学嫌いを生み出した。
 
算額を見ると、子どもたちや女性の算題が書いてある。
彼らは点数を上げるために算学に取り組んだのではない。
算学の面白さにひかれたのだ。
 
和算が世界に誇るべきものだとしたら、
それは市井の人々が算学を支えたことにある。
「庶民から大名まで、天才からはほど遠い多くの無名の人々が算学を愛した。」
このことが、世界の中で特別な数学を生み出したといえるもとだったのだ。
そして、それこそが最も大切なことなのではないだろうか。
 
改めて強調するが、それは明治維新でこの列島から滅ぼされてしまったのだ。