和算についての一つの考察

ガロアが生きたのは、江戸時代の末期、文化・文政時代。
数学を学び始めてわずか3年の少年が、どうしてその高みまで達することができたのか。
 
一つは、ガウスラグランジュなどの先行研究があったこと、
科学アカデミーなど研究が組織的に行われていたこと、
などが考えられる。
 
では、和算の歴史があるこの列島はどうだったのだろうか。
もちろん科学アカデミーはない。
ないが、日本各地に和算の塾があった。
和算にも先行研究と出版や算額での発表があった。
しかし、和算ガロアの理論のような研究は生まれてはいない。
 
それは、和算が趣味の数学になっていたからだと思っていた。
趣味とは遊びという意味であるが、もう一つ実学的ではないということだ。
 
しかし、江戸時代の末期に、和算を学んだことで出世をして、
咸臨丸でアメリカへ渡り、日本初の軍艦を建造した小野友五郎という人がいる。
彼は海軍伝習所で航海術を学び、出島でオランダ人から微分積分を学ぶ。
彼の身分ではそういう地位には到底つけないのであるが、
優秀な和算家であるということで、和算を利用して航海術の本を訳したことなど抜擢につながる。
 
彼を見ると、和算実学なのである。
地方にあった和算の塾も実学のために学んだ人の方が多かったと思う。
天地明察」では天元術を測量をするための計算術として利用していた。
 
それなのに、ガロアの理論は日本では生まれなかった。
それは、実学に片寄りすぎていたからではないかというのが私の仮説だ。
天元術は、高次方程式の具体的数値を求めることができる。
公式が無くても値が求まるので、公式を求めることが要求されたり
虚数を数体系の中に位置づけるということや、ガウスのような方程式論が出てこなかった。
 
算額の中に三次方程式の公式が出てくるということを聞いたことがある。
もしかしたら四次方程式の公式も見つけられているのかもしれない。
ニュートンに対応するのは、関孝和だ。
しかし、ガウスに対応する和算家はいない。