「らせん訳」と「回り道」

「100分de」を見ていたら、源氏物語が英訳され、それをさらに和訳することで、らせん的に読みが深まり広がっていくことをらせん訳と語っていた。

  源氏物語原文 ⇨ 英訳 ⇨ 和訳 ⇨ (実は一方通行⇨ではなく⇆)

これを「回り道」で書くと、よりイメージできる。

  1000年前紫式部の原文 ⇨ 100年前ウェイリーの英語訳
        ↓            ⇩
  [  形象の深まり  ] ⇦  現代日本語訳

この読みの深まりは、「形象読み」の深まりだと感じる。
そもそも「形象読み」や「構造読み」は「心的(内的)モデル」を使った「回り道」。

別のサイトを見ていたら、仏教とユダヤ教キリスト教イスラム教の大きな違いを現している文章に出会った。

その違いとは、仏教だけが他の言語に訳された教えであり、釈尊はそれを勧めたという。確かにそうだ。そもそも仏教を漢文にすることは、インド・アーリア言語(文化)から東洋(漢字)言語(文化)へと全く異なる言葉に翻訳する試みだった。
  仏教 ⇨ パーリ語 ⇨ チベット語・漢語 ⇨ 日本語 ⇨

イスラム教のクルアーンアラビア語ユダヤ教旧約聖書ヘブライ語
ヨーロッパの学問はラテン語という共通語を通して交流があったという利点(長所)も含みながら、別の地域の言葉に訳されるという多文化性が仏教の特徴であり、そこにこそ仏教の大事な点があるという主張には、なるほどと感じた。

親鸞さんの場合は、漢語から和語への「読み下し」自体がすでにらせん訳である。
この場合、原典に近いというよりさらに原典をより発展させたもので「らせん読み」と名づけても良いと思う。

  漢文の仏典  ⇨ 読み下し(和語への)
    ↓        ⇩
 より原典に近い ⇦ 新しい仏典の読み方

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教との決定的な違いは何か? 「不世出の語学の天才」が解明した仏教の「計り知れない奥深さ」。(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース


いつの間にやら彼岸花が咲いていた。
今年は遅く咲いたようだ。