親鸞さんの書かれたものを見ると「反(かえし)」という言葉がよく出てくる。
例えば浄土和讃の国宝本(専修寺蔵)には「畢竟」という字に左訓して「畢」に「おわり返」、「竟」に「おわる返」とある。
名畑応順師の補注に次のようにある。
左訓にはたびたびこの「反」の字を用いる。この反(かえし)とは漢字に用いる反切から転用したものである。漢字で未知の音を示すのに、他の既知の二字を以てする方法を反切といい、国語の振り仮名に相当する。そこでいま「畢」の字は和語では「おわり」という字だと訓を示したものである。
この「反切」とは何だろうかと調べてみた。
これは元来漢字の発音の仕方を現したもの
教行信証にもこのような使い方が示されている。
「證字諸應反 験也」syo+ou→syou
「命字 眉病返 使也 教也 道也 信也 計也 召也」mi+byou→myou
(後半は漢字の意味で説文による)
和語の場合カタカナを使えば読みは簡単に表せる。
(鎌倉時代に訓と音の区別がどのようになされていたのか興味がある)
さらに和語の読みにもこの「反」が使われている。
「嘉 カ返 ヨシ返 スグル返」
「蓋 ガイノ返 オホフ返 ケダシ返」
和語の読みは漢字の意味だから、その文字の意味を深めるためにも使われるのは自然。
前の文字の意味と後の文字の意味で、熟語の意味を深める。
「聴聞 聴ユルサレテキク 聞シンジテキク」(ここには返はないけど)
二つの和語を重ねることで意味をさらに深める。例えば「応」について、
「かなふ反、こたふ。一切衆生の供養を受けましますにこたえ給ふによりて大応供といふ。」
とある。
ウィキペデイアには、それを和語の語源に応用した例が書いてある。
貝原益軒の試み。
やすくきゆ→yasukukiyu→yuki→ゆき(雪)
「悲し」に当てはめると
(兼ね難し)かねがたし→kanegatasi→kanasi→かなし(悲し)