19日にやる予定だったわくわく図書館がオンラインの不調で今日に延期になった。
たった一冊のわずか357頁の本を一年間かけて読んでいる。
『人間発達の福祉国家論』だ。
今回それの最終回。
最初、とてもとっつきにくかった。(他の人も響いてこないと言っていた)
私の場合は、何が言いたいのか理解できないのだ。
でも、部分的には面白い所があって読み続けてきた。
昔からわからないことを何とか解明しようとする癖があるから。
読んでいるうちに、並行して他の本を読んでいることに気がついた。
どうやら無意識のうちに関連させて読んでいるようなのだ。
名づけて「並行読み」。
以前、「音楽を聴くことは労働か?」「将棋をすることは労働か?」という問題提起をして、混乱させてしまった。
労働には「物質代謝と精神代謝(こちらは二宮さん)があり」、「物質代謝には生産過程と消費過程があり、生産過程が労働である」と定義している。
「労働そのものが人間発達に欠かせない」としたら、この混乱の元をもっと明確にしなければならないと考えた。
そこで、アーレントの『人間の条件』を読む。
アーレントは人間の「活動的生活」を三つに分けている。
- 労働(labor):人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力
- 仕事(work):人間存在の非自然性に対応する活動力
- 活動(action):直接人と人の間で行なわれる活動力で、多数性という人間の条件に対応している。
こちらの方が、私たちの現実の生活をうまく説明している。
つまり使える。
例えば、この読書会は「労働」ではなく「活動」なのだ。
労働だけでは、遊びや生産的ではない活動を取り扱うことができないのだ。
アーレントはマルクスを尊敬しており、批判的に発展させたのだ。
もう一つ、「生産と消費」の区別について感じたことがある。
消費的行為は代われないもの。
生産的行為は代われるもの。
例えば、私の代わりに眠ってくれとか、代わりに死んでくれとは言えない。
つまり、消費(時間)は私自身のもの。
とすると、「代われる生産活動」はそんなに大事なことだとは言えなくなる。
私の代わりはいくらでもいるからだ。
そして、私の人生は誰にも変われないものだ。