組会とわくわく図書館「労働について」

疲れた。ぼんやりしてみたい。

昨日は永代経、今日は組会、夜はわくわく図書館。さすがに疲れた。
なぜか孫との遊びは疲れない。

わくわく図書館は「ゼロからの資本論」斎藤幸平著を読んでいる。
第一章の中に労働の定義がある。
これがとても面白い。その中での検討会の一部。

労働は、まずもって、人間と自然とのあいだの一過程、すなわち、人間が自然との物質代謝を自らの行為によって媒介し、規制し、制御する一過程である。

「労働」って何だろう。
マルクスは、人間だけが、明確な目的を持った、意識的な「労働」を介して自然との物質代謝を行っていると言う。
ではアリは労働していないのだろうか。
この疑問は私の個人的な問題意識から来ている。
最近chatGPTなどのAIが話題に上っている。
これは「人間の活動を機械に置き換えることができる」、いや「機械の方が人間よりも正しい判断をする」という考えを生み出す。
そういう考え方の根本をたどっていくと、
「動物は本能で生きている」⇨「本能は機械的な働き」⇨「動物の行動は機械に置き換えることができる」⇨・・・
私は動物も人間も本能で生きている面もあり、動物も心を持っていると思っているので、「唯物論的」なこういうとらえ方に納得できない。
だから、「蟻や蜂も人間も同じように労働している」と主張したのだ。
(人間の労働者は蟻のように働かせられているという意味ではない)
有機農業は微生物の「働き=労働」を抜きにしては成り立たない。

マルクスの労働の定義によると、(何度読んでも)
蜜を集めるミツバチは労働をして(はたらいて)いるとしか思えないのだ。
酒を発酵させる酵母も労働をして(はたらいて)いる。
それから、
「ZOOMの会議をビデオまで録画できるなんてデジタルはすごい。」ということは、労働から見ると、巨大なコンピュータを作り出した労働(ロボットの労働?)と過酷な労働でプログラムを作り出したプログラマーたちの労働がその裏にあると思うのだ。(これを意図したCEOはどういう労働をしたのだろうか?)
私はアシナガバチが巣を作るところを数週間観察し写真に記録したことがある。
彼らは本能で機械的巣を作っているのではない。(警戒したり、威嚇したり)
Sさんが言われたように、「昆虫は本能で蜜を集めている」と人間が思っている(認識している)だけだ。
このように生き物は全て労働していると考えると(でないと生き残れない)、人間の「労働」は意識的に「規制し、制御する」という点に特徴があるのではないだろうか。

ところが、
私の疲れた「労働」は社会的な課題に対して規制し制御される過程であって、自然との物質代謝は行われていない。つまりマルクスのいう労働ではないことになる。

100分de資本論最終回を見た アーレントの労働・仕事・活動)

さらに「物質代謝」について調べてみると、「動的平衡」へと深まっていく。

生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。  「生物と無生物のあいだ福岡伸一

わからないことだらけで、疑問が次から次へと浮かんでくる。