大無量寿経について

プチ法話会で浄土三部経を取り上げて解説している。

小経、観経を終えていよいよ大経に入った。
ところがこの大経は何回か読んだけれど、意味が全くわからない。
しかもサンスクリット語の原典、漢訳、漢文の読み下しと3種類ある。
さらに親鸞聖人の読み下しが加わるので4種類。
これに現代語訳が加わるので5種類。
どう話していけばいいのか。
そもそも私自身が理解できないのではと思っていた。
とりあえず説明は現代語訳を基本にしようと思って、読んでいたら、疑問が次から次へと出てくる。
その疑問に応えるためにさらにいろいろな参考書を読む。
というようなことを繰り返していたら、おぼろげながら全体像が浮かんできた。

話し始めたら序分だけで終わってしまった。
でも、今まであまりにも長すぎる序分の意味が自ずと浮かんできた。
もっと言えば話しているうちにだんだんと浮かんできた。
①聴衆が釈尊と同じレベルの人たちである理由
②だからこそ阿難の問いが意味を持ってくること
③そして、釈尊の応えである如来が世に出現したわけ

この如来釈尊が語っているので、主語は私ということになる。
もっと言えば聞く方の人たちを主語としてもおかしくない。
私はなぜこの世に生まれてきたのか
そういう問いを釈尊は私達に投げかけている。

漢文を日本語にどう読み下すのかということについて質問が出た。
これがとても面白い編集なのだ。
親鸞さんはこの日本語独特の読み下しによって独特の編集を行っている。