「運送費争い」に付け加え

昨夜飛騨から美濃まで牛を運ぶルートを調べていて高鷲村史を見ていたら、白川下田村の争いが正ヶ洞区長文書に出ていた。
読んでみるとその後は、今度は上の保の村々と剣村の運送問題になっている。
幕府の権威を利用して口役銭を値上げしたのだろうか。
継場は荷物を継ぎ送りするのが建前であるが、荷主によっては荷物を付けたままで
次の宿へ通るものがある。これを「付通し」と呼んでいる。しかし、これ
では宿の収入にならないので、宿では上前銭と称して「付通し」の荷物
についても料金を徴収した。 

「白川郷十八ケ村と下田問屋運送争い」江戸での裁判の経緯について

これは書き加えなければと思って編集し直した。
村々が相談して取り決めを行っているのも興味深い。

当時、美濃国飛騨国は別の国だったのだ。
だから関税をかけたし、自治もそれぞれの国で行われていた。
つまりある意味で完全な地方自治だったのだ。

そして運送料は宿を成り立たせる大事な収入源だった。