祖母の祥月命日 夢も現実界

今日は祖母の34回目の祥月命日。
昭和天皇と同じ時に亡くなったので数えやすい。

ここの所死の夢をよく見る。
それには原因があってそれが大きく影響を与えていると思う。
これが「現実界」の例だ。
夢が「現実界」を見させてくれる。
この「現実界」というとらえ方の良い点は、バーチャルも夢も様々な現象(デジタルの世界・ネットの世界)も「現実界」として扱えることにある。
そして、それをこうやって言葉化することで象徴界と行き来し、三界というイメージでもって想像界とも行き来をするのだろう。

現象とは不思議なものだ。
ラカンの鋭いところは、夢も含めた現象をすべて「現実界」ととらえたことにある。
精神分析だから当然だけど。
見えるだけの世界を「現実」ととらえるよりもはるかに適格だ。
またこうでなければならないという見方もその中に溶け込まさす。

次の課題は、これが主観と客観の分裂をどのように統合しているか、
そして対話はどこに位置づくのか、
精神分析における対話はオープンダイアローグに行き着くと思う。

高鷲は今日も天気が良い。

焚きつけにと「くれ」を10束ほどいただいた。
もう使わないから小屋から出したと。

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これを焚くと乾きが良いのですぐに燃え尽きる。
でも、これを剥ぐのにどれだけ大変だったか。
そして屋根を葺くのがどれだけ大変だったか。
「くれ」は榑と書く。
子どものころ屋根はほとんどがこれだった。
そして屋根には石が置いてあった。

榑葺き民家とは