科学者という名称が出てきたのは、18Cのイギリスらしい。
その時ファラディーは
「私は科学者ではない。私は自然哲学者だ」と言った。
ファラディーは、自然を探ることは神の摂理を知ることだと自覚していたことになる。
このことを図化すると
統一性 ←→ 多様性
単純化 ←→ 多様化
この関係は科学において同時進行であり、相互に関連しながら発展してきた。
私は昔から、この関係を還相と往相でとらえている。
図化すると
原理・法則 ←→ 現象・応用
(真如) ←→ (方便・現象)
そして、この矢印の左のベクトルが智慧で、右のベクトルが方便。
この智慧が仏から告げられる「与告」。
だから予告と与告は違う。
予言と預言の違いと同じ。
ファラディ―は電磁誘導の発見を与告ととらえていたのだろう。
ちなみに18Cのイギリスで、日本の和算とよく似た「数学の大衆化運動」があったことを知った。
女性をも巻き込んだ出版による数学の大衆化運動は、月刊誌やカフェで行われるサロンを通じて広がっていった。その中には大学で学べない人たちがそこで学び、やがて大学の教授になっていった例もある。シンプソンの公式で有名なトーマス・シンプソンなど。
これは数学だけではない。ファラディ―自身がそうである。
当時の大学の数学は、微積を教えていたのではなく、総合幾何学の証明問題に取り組むことが代数や解析よりも大事で、精神力や推理力を養うという精神論が中心だった。
それに対してカフェや月刊誌では面白そうな問題や当時最新の微積も取り上げていた。
和算やイギリスの数学における大衆化運動があったからこそ、近代の数学へと発展していったのだ。この道筋は東西とも同時期に起こっている。