「問題を解く時期」と「問題を見つける時期」

どうやら問題を解く時期は終わって、問題を見つける時期に入ったようだ

身辺整理をしていると、物語が湧き出してくる
その物語が渦を巻いている
例によって書いておかないとわからないから書くのだが、
それは日時には関係がないことがわかってくる⇒道元さんの有時

問題を見つけるためには、興味をひくモノが出てくるのを待つしかない
モノによって物語が出てくる
そのモノを探すこと
それに尽きるような気がする

智慧と方便」の世界は書くことによる「意味宇宙」に通じる
念仏によって仏が現れるように
意味が現れてくる

こうやって書いていることもその一つ
プリコラージュとは何かを考えていたら
限界数学も同じことだと気が付いた
野生の思考と科学の思考は同じことなのだ


読み書き算は、(現実)認識の手段であり認識そのものであり、認識の概括であり、方法であり、
私たちの世界観形成に大きな役割を持つ    (城丸章夫氏)
例えば

  【話ことば・話し合いことば】 ←→ 【語りことば】 ←→ 【書きことば」
   音声を伴い              意見・考え      内言・抽象性
   対話者がいる             思想を語る     自覚性・随意性

話ことば→書きことば→語りことば
このように図式化すると、書くことは「書きことば」と「語りことば」をあわせもっている
そして、そこに物語がある