ヘレン・ケラーの覚り

アブダクション」というのは、ブレイクスルーの発明や発見をした偉大な科学者のやってきた推論だと思っていたら、そうではなく人間誰でもがしている推論だというのがだんだんわかってきた。(対称性バイアス・類似性の発見・知識の過剰一般化など)
そして、だからこそ子どもが(私たちが)言語という途方もないシステムを身につけることができるということも。

ここでヘレン・ケラーの「学び」とは何か『言語の本質』を元に考察してみる。
ずっと昔からヘレンは何が分かったんだだろうと思っていた。

①ヘレンはすでに身振りで思いを伝えていた。
 でも身振りは手話ではなかった。自分の要求を伝えるだけのものだった。
 一方的だけどコミュニケーションは取れていた。
②サリバン先生からモノや行為と同時に掌に何か刺激を受ける。
 それには一定の対応があることは知っていた。(異感覚マッピングの能力)
 waterという手文字も知っていたが単なる手遊びだと思っていた。
③手に水を浴びた時、指文字waterがこの冷たい液体の名前であると理解した。
 (身体接触=記号接地)つまり、ことばwaterの意味が体感できた。
 waterはこの触っているモノの名前である。(対称性バイアス)
 サリバン先生はそれを伝えようとしていたのだ。
④同時に過去の手遊びも同じことだったことを理解した。(一般化・アナロジー
⑤「全てのモノにも行為にもモノの性質や様子にも名前がある」という洞察を得た。
 (モノと対応したことばの世界があるということを知った。子どもはこれを順々にわかっていくが、ヘレンには一度に押し寄せてきた。そして、語彙のしくみや単語をまとめる規則によって意味を作り出すしくみの探求を始める)

waterという言葉が冷たい水を差しているということを体感すると同時にヘレンの世界が創造された。だからヘレンはサリバン先生の名前を尋ねている。
なぜことばがあることがわかったら世界が見えたのだろうか?
ことばは内面のモノ、世界は外面のモノ。ヘレンは見ることも聞くことも出来ない。
自分の内面に対応する世界があることがことばによって気がついた。
ことばを働かせれば世界を知ることができると。

この右側が内面になり、左側が外面になる。(どっちでもいいか)

現在のAIにはヘレンの③が無いのだ。
そして今井先生は私たちも同じではないかと警告している。

ちなみにローティは次のように自己と語彙について述べている。

人間の自己は語彙の中で適切あるいは不適切に表現されるのではなく、
 むしろ語彙の使用によって創造されるのだ