「偶然性・アイロニー・連帯」ローティ

全く眠れない。

今までは100分de名著の番組を見てからテキストを読んでいた。
ところが何気なしに買ったこの本は番組が始まる前に読んでしまった。
こんなことは初めて。

面白い。
なぜか。自分の経歴そのものだからだ。
だいたいこのローティという人をこのテキストで初めて知った。
自己の偶然性、共同体の偶然性・・・
フロイトが明らかにしたのは「偶然性のかたまりとしての《自己》
これなんかしびれる。

互に偶然的な存在であるからこそ、何かしら一緒にやっていくことができるという可能性が出てくる
公共的なもの=人間の連帯の要求=公的な正義に関わるボキャブラリー
私的なもの=自己創造の要求=私的な関心に関わるボキャブラリー
この二つを統合する必要はない。

拡張する」というのは私の数学のテーマだったけど、「終極の語彙」として私自身が拡張される快さを味わった。
いかにして会話を守るか」これもずっと考えてきたボキャブラリーだったけど、またまたこの語彙が気持ちよく拡張された。
政治文化」を実践すること=ことばづかいをケアすることによって人々が会話を続けられるようにすること

ことばによる「非ー人間化」は辛くて書けない。

多分これからこのテキストについていくつか再記述されるだろう。