「あの人たちと比べればわしは幸せや」

TVを見ていたら、車いすのバスケの選手たちが子どもたちに教えている場面が出た。その時、母が呟いた。
「あの人たちと比べればわしは幸せや」
これを聞いてかっとなって叫んでいた。
「じゃあ、あの人たちは不幸せか?
そうやって人と比べて自分はまだましやと思う人を凡夫というんや。
お寺に嫁にきて何を学んできたんや。
そんなことを言うと地獄行きやで。」
「わしゃどうせ地獄へしか行けん」

ここまで来るとさすがにまずかったと気付くがもう遅い。
気まずい雰囲気のまましばらくすると、少し冷静になってきて、なぜ怒ってしまったのか振り返ることができた。

母は朝、花を生けようとして香炉をぶちゃけて灰をばらまいてしまった。
できないことが多くなったのに何でも自分でやろうとする。人に迷惑をかけてはいかんと思っているから「手伝ってくれんか」と言えない。
そんな母を何とかしたいと思っている自分がいた。

もう一つ、かって学校に勤めていた時に、障がいを持った子たちと学びあっていた時のくやしい経験からの思いもあった。
これは並大抵のことではないなと思っている自分がいた。

次の日ふと考えた。
母の発言を聞いたとき、阿弥陀様やったらどういう対話をしただろうかと。
なぜなら地獄しか行きようのないものを救おうとされた方だからだ。
そして、その対話をいろいろ想像してみた。

「あの人たちと比べればわしは幸せや」
「そうか幸せか。ではどこが幸せなんやろう」
「足が痛い、歩くのが辛いと言っとるけど、足があるだけ幸せや」
「そうか、足が痛いということが辛いんだね。
 じゃあ、車いすバスケの人は、足があっても痛くて辛いあなたよりも不幸なんかな」
「ああやって足がなくても頑張っている人と比べたら、足が痛いくらいで何を言っとるのかと思う」(あくまで自分中心に考えている)
「あの人たちからそういうことを教えてもらって幸せやったなあ」

阿弥陀様の立場に立ってと言っても、私が想像しているのでどこまでも私から抜けられないけど、我が心と我が身を振り返らせてもらいました。

 
何度も屋根から雨漏りが滴っていないか見に行った。
これくらいの少雨なら大丈夫なようだ。
もっと強く降らないかと思わず願っていた。