郡上組「組だより」の原稿

二月締め切りなので、いろいろ悩んで書いた。

      南無阿弥陀仏」に助けられた

                         長善寺 釋文隆

 何を書こうか悩んでいて、今はやりのChatGPTに聞いてみた。すると、

『「法話」は、この教団の信者が行う瞑想の一種です。信者は、仏教の教えを実践することにより、自分自身の心を穏やかにすることができます。
おたすけ」は、「浄土真宗」の信者が行う慈悲の心を表した言葉です。この言葉を通じて、仏教の教えに基づいて他の人々を支援することができます。信者は、「おたすけ」を通じて他の人々を助け、慈悲の心を育てることができます。』
と答が返ってきた。文章はめちゃくちゃだけど、かえって本質をついていて面白い。

 ところでAI の時代に仏教はもう古いと思っている方もいるかもしれない。でも、AIを理解するのに仏教ほど基礎になるものはない。例えばAIの進化はこれからもどんどん進む。その時に、私たちに煩悩があることを知っていないと、私たちはAIの奴隷になってしまう。そのことを繰り返し仏教は教えている。

 さて、この「郡上組だより」が50回も続いてきたのは、「南無阿弥陀仏」を何とか相続しよう(伝えよう)とされた先達方のおかげ。だから心に残っている先輩方のことを書いて勤めを果したいと思う。

①お参りに行くと仏壇に蝋燭と線香をあげながらいつもこう語ってくれたおじいさんがいた。「この仏像は本当の仏様ではないけど、わしら凡夫にわかるように姿を現してくださったんやでなぁ。」上村清人さん。

②集合写真を見ながら私に尋ねた。「この写真を見る時にどこを見なさる。真っ先に自分を見るんやないかな。どんな姿で写っているか。」畑佐敏男さん。

③「朝、本堂へ行くとそれはきれいやで。朝日が仏様にあたって輝いている。」こう言われたのは円覚寺様。それ以来朝本堂へ行くとこの言葉が浮かんでくる。

④「生きることは苦しい。生きることは楽しい。生きるっていうことは尊いことやでな。」107歳で往生された福手豊丸さん。

⑤「ここへお参りするとありがたい。」(私の法話が良いのかな?)「あなたが老僧の言うことを聞いて動きまわっているのを見ていると、年寄りが大事にされているということがようわかるで有り難うなる。」上田貞子さん。

⑥「お念仏申してわしが喜ぶと、阿弥陀様も喜んでくだれるかもしれんと思ってなあ、阿弥陀様、わしにお念仏を称える身にさせてくだれてありがとうございますって、子どもながら嬉しゅうてお礼申し上げたことがあった」山田あさえさん。

 いずれもいつまでも味わうことのできるお言葉である。