弥陀大悲の願船に乗じて

昨日、大和庁舎を訪れた時に、島津忠夫文庫のことを知った。
知り合いに案内されて、
島津博士の和歌連歌などの古典文学、文学史、現代短歌、演劇などの膨大なる蔵書を拝見できた。
 
平家物語に関する本もあり、清水寺炎上に関する最新の解説を読むことができた。
その中にある和讃について直接の論文は読めなかったが、概略を知ることができた。
 
さらに、仏教文学研究を見つけて、「讃阿弥陀仏偈和讃」表現考を借りた。
和讃のどこで句切るかで、様々な表現が現われてくる。
法話で書いた対句的な表現だけでなく、
漢文の偈をどのように訳すのかという工夫もうかがえる。
 
尊い出会いであった。
 
さて、七里和上の教えを受けた与之助さんは、
報謝の念仏は懈怠に陥るのを止めることが大事だと語っている。
でも、それは弥陀の大船に乗船したあとのことであり、
そのことについて、七里和上のお話
 
まず、大悲の願船に打ちのいりて、其の多忙なる世業を願船中の仕事となさないのか。
人生の目的は、本願の船に乗って(  )の勉強をし、報恩の資金を造り、念報相続するにある。
人界に受生したるは、六道の迷いを脱して本願の船に乗ずるを目的とすることを忘れてはならない。
常に大悲のおたすけを念ずれば、静かなる海に大船に乗ったような心地がするものだ。
この心より、仏恩報謝の称名を相続すれば、
遊船中に謳歌するようなもので、喜びは自ずから身にあふれるものだ。
この中で商業を勉強すれば、念仏相続の資本と弘教慈善の資本とを作る目的を立て、
煩悩の楽しみの為には厘毛も費やさぬようによくよく用心をするべし。