ワークショップについて

連研の話し合い法座は一種のワークショップだ。今までいろいろなワークショップをやってきたけど確かに効果がある。

このワークショップを勧めているのが文科省の「コミュニケーション教育推進会議」

その報告を逆方向から読むと、ワークショップは現代の子どもたちに欠けている「コミュニケーション能力」を高めるために効果的な方法だと述べている。

確かにワークショップはコミュケ力を高めるけど、逆にコミュケ力が無いとワークショップも「学び」がなく苦痛となってしまう。

先に「逆方向から読む」と書いたけど、この報告は現代の子どもたちはコミュケ力が無いということを前提にしている。だけど無いのではなく奪われているととらえた方が正しい見方ではないか。

そもそも、ワークショップが効果的だったということは、コミュケ力が無かったからではなく奪われていたコミュケ力が魅力的な課題によって回復してきたからだということを示している。

ここで思い出したのが、1990年代に読んだパウロフレイレの「伝達か対話か」

これはブラジルにおいて銀行型の教育と対話を重視する教育を対比させ、対話を重心する教育を「関係変革の教育」として、地方でワークショップに取り組みながらを貧しい農村の人々の「学び」に取り組んできた実践である。

当時、対話が大事だということは学んだけど、今この列島にも当てはまるとようやく気がついた。当時は私自身に「学び=対話」という視点が弱かったけど、今なら様々なプログラムを編集することが出来そうだ。

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この図は一人で作ったものではない。「子育て・教育の集い」の実行委員会に集った人たちと一緒に作り上げたものである。その作る過程は学びであり、実行委員会がワークショップであった。

次にこの図は課題化の第一歩として提示される。この図から世界が見える。見えるということが大切で、自分の置かれている状況が見えて、それを名づけることから世界との関わり合いが始まる。

そして、課題化の過程は全て対話によってなされる。そもそもこの図は上から与えられたものではなく、対話によって作り出され名づけられたもの。困っている母親がこの図を見ることで世界が見えたら図の役目は果たせたことになる。

この図を見て、今おかれている状況の大変さ、困難さに打ちひしがれるのではないかという意見が出された。それはこの世界の大変さと同時にこの課題の重要さも示している。そして、この課題が一人一人の課題となった時に、この図の外側に新たな実践が、世界を変えていく実践が展開されていく。

対話はスキルとして伝達できない。対話は対話によってしか伝わらない。それがワークショップの最も重要な効果だと思う。