寺子屋もそろそろ終わりに近づいてきた。
寺子屋に来た子どもたちは「夏の友」をさっさと済ませると、遊びに夢中になる。
スマホなどでゲームをやっている子もいるが、他の子たちが遊びだすと止めてしまう。
何より「遊びなさい」と言わなくても自主的にやっている。
遊びの中で子どもは自主的であり主体的なのだ。
寺を使わせてもらったからと、親さんが大掃除を計画してくださった。
みんなが集まるまでいろいろなことをして遊んでいた。
大人は子どもからマンカラのやり方を教えてもらって夢中になっている。
すると小二の女の子が叫び出した。
「誰も私と遊んでくれない!」と
彼女は「遊びは集団で行うものだ」と自覚しているのだ。
誰かとやっていると、そこにコミュニケーションが生まれる。
マンカラだと勝ちたい、勝つとうれしい。
そして、相手の力(作戦)を精一杯受け止めて戦う。
風船バレーだとうまくできるかと思い、できたら認めてもらえるのが嬉しいのだ。
これは共感のコミュニケーションそのものだ。
彼女は「集団でやる遊びは面白い」と言っているのだ。
ちなみに子どもの遊びは自由時間の中から生まれる。
「遊んでばかりいないで勉強しなさい」と言うけれど、本当に遊んでいるのかどうか。
全力で遊んでいる子にそう言えないはずだ。
そういう時間を過ごしているのかはよくよく見てみなければいけない。
