「コミュニケーション的理性」とは

赤ちゃんの「指さし」への反応は、大人との二者関係から三者(三項)関係へと変化していることを示している。これが革命的なのは動物には声で第三項を示すことはあるけど、「指差し」ではないことによる。

だから、この指差しへの反応がコミュニケーションの始まりであり、そこから身振りや音声言語が生まれてくる。
では、このコミュニケーションは他の動物とどう異なっているのだろうか?
例えば食べ物を食べることで動物と人間は同じだけど、次の点で異なっている。

A、食べ物をとる(人間は自然とのコミュニケーションを育てた点が動物と違う)
 例えば果物を運ぶ→子どもに与える→一対一の対応→いくつ持っていったらいいのか
 →目的・予想・構想を持つ→ことば。
 狩猟→道具の生産→労働→学習・教示。
 これらによって、目的合理性・合法性をベースとした真理性基準のコミュニケーション的理性が発達する。
 例えば、ものづくりの協働・数学・科学など。一言で言えば「了解する能力」。

B、子育て(仲間とのコミュニケーションを育てた点が動物と違う)
 協力し合って子育てをする。
 子どもと共有する対象があることで意識の共有。
 指差し→身振り言語→音声言語→→性別分業→共同体→社会。
 協力性・他者理解・相互合意をベースとした規範性基準のコミュニケーション的理性が発達する。
 例えば、エッセンシャルワーク・教育・コミュニティづくり・遊びの中でのルールづくりなど。一言で言えば「合意する能力」

C、遊び(集団や仲間と遊ぶ点がサルと違う。スポーツや芸術なども)
 自由時間の創出によりあそびやスポーツや芸術が生まれる。
 喜び、楽しみの感情。遊びの楽しさ、面白さ、魅力・求心力など感性てきなもの。
 自己目的的活動として享受する能力として共感・誠実・真意性基準のコミュニケーション的理性が発達する。
 
例えば、鬼ごっこ・積み木遊び・カルタ・ごっこ遊び・音楽・美術・文学・ダンス・ゲーム・集団遊び・趣味などを自己目的的活動として、楽しみ面白がる能力。
 つまり「共感の能力」。

私たちの「人格の発達」はこれらのコミュニケーション的理性を培うことに尽きる。

 遊び”と”モデルベースシステム” - 文ちゃんのページ (hatenablog.com)

参考文献は「人間発達の福祉国家論」二宮厚美著。

「貧」と「貪」の文字の違いを調べたら面白かった。