道中脇差

剣村の留帳に、お尋ね者の人相などが回覧された記録がある。
羽州だから山形県で傷を負わせて逃げている者の手配書が、郡上にも回ってきていたというのは驚きだが、その中に黒塗りの脇差を持っているということが書いてあった。

すると、八幡城に剣村藤次郎の脇差があるという話になった。
百姓でも脇差を携帯できたのかと問いが出て、すぐに調べたら、

「道中では脇差を携帯することができた。特に旅行者や夜間の外出時には、護身用として脇差を帯刀することが許されていた」と書いてあった。

とすると、一揆の訴人たちが脇差を携帯していたことも十分考えられる。
なお、関所はどうしたのだろうか?
藩内の関所は通れなかったと思うけど。