ことばをシャワーのように浴びている毎日。
そのシャワーを浴びながらもやっぱり言葉の意味を探っている。
毎日和讃を読んでいると、隠喩と対句の表現力のすばらしさに気がつく。
その代表例。
空間は旅館で時間は旅人か
でも空間自体も旅人とも言えるな
月日は帰ってくるけど、帰ってこないものがあるな
旅人と旅館って何だろう
李白は天地・月や太陽さえも「ここ」に持ってきている
そして、ここに書かれていないものがより鮮明に浮かび上がってくる
このスケールの大きな場のどこに私たちはいるのだろうかと
「万物の一つとしての私」
「死すべき存在としての私」が浮かび上がってくる
旅に出るとすべての出来事が新鮮に映る
それはこの旅がやがて終わるということを知っているからだ
そして、今経験していることは一度限りのことであることを強く自覚する
だからこそ、その経験を時間を大切にしようとする
私たちの日常も一回限りの経験であり時間ではなかったか
同じことの繰り返しと思っている日常は、実は二度と繰り返さない旅であると
芭蕉も同じ疑問を持ち、その一つの答えを表現したのではないだろうか
帰ってこない旅人の私の経験を永遠に表現しようとしたのではないか
一度しかない私の経験を