死すべきものとしての人間―「生と死の思想」

今まで見ようとは思わなかったビデオを3回も見ている。

YouTubeを見ていたら、「テレビで再生」というアイコンが出てきた。
どうやら息子がテレビに機械を取り付けたので出てきたものだろう。
これで、YouTubeのビデオをTVで見ることができる。

この世界はどうなっているのか
この私はどう存在しているのか
死すべきこの私の生とは何だろうか

そんなことを考えるようになってきた。
今まで考えたことのないテーマだ。
ふとYouTubeの番組を見ると「死すべきものとしての人間―生と死の思想」
で、「有限的な生の意味」(熊野純彦氏)が目に留まった。
きっと難しいだろうと思って見ていたら、やっぱりわからない。
でも何だか引き付けられる。
 

宗教の位置も表現されている。
ハイデガーなんて近寄れないと思っていたけど、なんだか身近になる。

 

「旅のたとえ」は感銘を受けた。