「積極主義」と「消極主義」

清沢満之師の生誕160年没後120年。
7月2日の中日新聞に、藤田正勝氏の紹介の記事が載っていた。
この記事と下のかかしの記事が繋がってしまった。
というのはシンポジュウムで「どうせ転ぶなら下へ転べ」という話と「故郷に帰ってこよう」と言いう話をしたからだ。

まずこの「かかしの家族」は祖母の実家の記事で心にしみる。
赤いランドセルのところでは涙があふれる。

私も高鷲を出たものの一人として、そして帰ってきたものの一人として、悲しみとして、そして希望として、様々なコトや思いが入り混じってくる。

清沢満之師についての次の記事はそれをさらに深めさせる。

藤田教授は清沢師に対する新しい視点を提起している。

「積極主義と消極主義」
精神主義は外にではなく、内にこそ心の満足を求めるものであり、外にある物を追い求めたり、他の人に追従しようとして苦しむことがない。だからこそ他の人々と心を通わせることができ、大きな幸福を得ることができるというのです。
 清沢の言う消極主義は単なる消極主義ではありませんでした。それをむしろ逆転させて、それによってこそ「真の大活動、真の積極主義に到達する」ことができると主張しています。富や名誉に縛られ、欲望の奴隷になるのではなく、心の自由を得ることができるからです。心が自由自在に活動するところでこそ、わたくしたちは安住の境地を得ることができるし、他の人とも争うことなく「交際協和」することができるというのが清沢の考えでした。

高鷲から北海道へ、そして満州へと、苦難の開拓の道を選んだ人々の夢を否定することはできまない。この「下へ転ぶ」志向は現代でも続いている。
でも、高鷲へ帰ってきて蛭ケ野や上野の開拓を始めた人たちがいる。私も帰ってきた。
考えてみれば鷲見郷の歴史は開拓の歴史でもある。
その開拓は何を拓いてきたのだろうか。
私が高鷲には「本当の豊かさ」があるという言葉で表現したものを清沢は「消極主義」として見事に表現していることに揺さぶられる。