現生往生について

近代教学は「現生往生説」を生み出した。
そして、それまでの教学を前近代的なものとして顧みなくなった。
例えば輪廻転生は迷信であると。
 
死後往生だとすると、往生する主体が何かわからなくなる。
だから、魂の存在や輪廻転生を迷信と決めつけ、合理的な説明をしようとして現生往生説を取り入れる。
 
しかし、合理的に説明しようとするあまり、かえって
「神秘的な合理主義(合理的に考えようとするために返って神秘主義になる考え方)」
になった。
例えば、還相の菩薩のはたらきが説明できない。
死後往生を否定するあまり、死後往生を説く歎異抄を否定する。
 
ここで、この問題を整理すると、
A、現生往生では還相の菩薩のはたらきを説明できない。
B、死後往生では往生する主体がわからなくなる。
 
当然、釈尊法然上人も親鸞さんも死後往生は当然な事であった。
ということは、思い切って輪廻転生を認める所から始めるという、「合理的な神秘主義」を取り入れる。
輪廻転生を無理矢理合理的に解釈するのではなく、それを前提において出来るだけ合理的に考えるのである。
 
実は近代教学の創始者清沢満之師は「霊魂」の存在を極めて合理的に説明している。