七里恒順と清沢満之

私はお東の清沢満之に対して、お西の七里恒順をよくとりあげる。
同時代ということだけではなく、とても対称的だということがその理由だ。
そして、日本の近代化の一つの面を二人を通して見ることができるのではないかと思っている。
 
その七里師の言葉を以前とりあげたが、その中に「四門」の譬えがある。
 
求法は汁で、熱心に精進する。
安心は飯で、聞信一念。
報謝は平皿で、自行化他。
処世は皿で、職業行状。

  

あのころは、気がつかなかったが、特徴が「処世」である。
報謝で終わってはいない。
処世で(報謝の)念仏の生活が始まるのである。
 
これは近代化というよりは、前近代のような感じもするが、明治という変化の大きな時代にどのような心持ちで生きてゆくのかを、宗教の方からしっかりと示していることはまちがいない。
それは庶民の道徳であったが、西洋のキリスト教の禁欲主義が資本主義に影響を与えたように仏教の側からの商業や産業への人々の心持ちを明確に示したと言える。
 
「大船に乗って学問や商売に励む」という譬えは面白い。
「品行を慎み、職業に勉励する。浄土に参る人は自ずから他人とは異なる」
そこには凡夫の自覚が、具体的な行動となって示されている。
そこには念仏が常にあった。
 
清沢師は哲学的であり、仏教の理論化という感じがするが、七里師は庶民的で、誰にでも分かり易い。
共通するものは、人間を越えた何かを常に自覚していたこと。
そして、二人とも教団の改革に関わっている。
明治という近代化のなかで、一人の宗教家として、どのように生きたのかを示してくれている。