村田静照師の念仏は、
人生で起こる全てのことを、如来よりの慈悲のはたらきととらえる。
つまり、自らの人生を如来からの方便ととらえる。
だから、どのような苦労があったとしても、それは仏の方便だから
有難い私への慈悲となる。
言葉で言うと簡単だが、それを実行するとなると、とてつもないことだと
気がつく。
様々な苦しみや悩みを持った人たちが、和上の念仏道場に通ったのは頷ける。
そして、すべてのことを念仏に込める。
どんな忙しい生活を送っていても、念仏だけは可能だから。
ただ、求法には念仏は必要ではない。
安心と報謝と処世は、念仏一つである。
「ただ念仏のみぞまことにておわしましける」

盆栽が雪に埋まっている。
この盆栽は形見である。
盆栽を生涯の楽しみとした人の。