わかったこと

①双曲線の漸近線は円錐の母線に当たるのか?
 もしそうなら、双曲線の中心とのズレはどうなっているのか?

GeoGebraで実験
わかったことは、双曲線の中心と円錐の中心を重ねてみた時の円錐の母線の見え方が漸近線。

②その時切断面に垂直か?

これも実験してわかった。垂直とは限らない。だから母線の角度も変化する。

③直角双曲線の場合の円錐は直角か?

双とは限らない。重ねたときに母線が直交しているかどうかだから、例としては反比例が一番よくわかる。

④一般の双曲線で作った三角形の垂心は双曲線上にはない。
直角双曲線のみ。
これは垂直であるということがポイントで、垂心、外心、直極点などすべて垂直。

当たり前そうでわかっていなかったので記録しておく。
わかり方も個性的だとしたら、編集も個性的になる。

 

数学における「多様な編集の道」

岐阜でも雪が舞っていた。
東京も雪が降ったという。
春になったと思っていたのに逆戻りするのは身体にこたえる。

昨日書いたことがまだ余韻として残っている。
大したことではないと思うのになぜか。
双曲線から漸近線を求めることがずっとわからなかったからなのか。
三角形の直角双曲線の原理がつかめたからなのか。

昨日書いた三角形の多様な姿が教材として最適であるということも考えている。
しかも他のモノ(双曲線)と組み合わさることによってさらに多様な変化を示す。
   三角形はアブダクションを育てる最適な教材
これに次のコトを加えたい。

三角形という単純な形だから簡単に作図できる。
そうすると作図という形で自分自身に納得する編集ができる。
つまり、からだで作図によって再構築をすることで納得していく道筋がある。
それは証明とは別の道だ。
(証明を書くことが要らなくなる。というか一人一人の納得の証明がある)
しかも、自分自身の興味によって編集していけば良いのだから、
多様で個性的な編集ができる。(もちろんGeoGebraを使って)
これが数学のリジェネレイト

そうすると一人一人の「ユークリッド幾何」ができることになる。
これが新しく加わった理由。
この編集はブックの中にシートを作っていくことで実現される。

ユークリッド原論」はこうやって多くの人の編集で出来上がったものだと感じる。
ここにも公と個の大切な交わりがある。

直角双曲線の漸近線

東京へ行く予定がすべてキャンセルになってしまった。

そして、数学モードから離れるつもりだったけど、なかなか離れられない。
ついGeoGebraに触ってしまう。依存症なのだ。
さらに朝方アイディアが浮かんできて二度寝をすることができない。

これは双曲線の漸近線を作図するにはどうすれば良いのか調べていて作ったもの。
直角双曲線の場合は、二つの漸近線と三角形の交点が中点に対して対称であることと、一直線上に並ぶことを確かめるためのシートである。
証明するのは苦手なので、体感で迫ろうとしている。

 

このシートは次のことを示そうと思って作ったもの。
漸近線が直交する(直角双曲線である)ことを示すための作図で、かなり苦戦した。
でも、分かってみると実に単純で簡単。
ということで記録しておく。

 

 

徳永公民館のサロン

ふと親父の掲示伝道集「心に響くことば」を開いてみた。
最初にこの歌が書いてある。
どんな歌か知らなかった。

今日は徳永のサロンでいろいろな活動をした。
18名の方が参加。なんと女性ばかり。お手伝いは私と山本さん。
みなさん積極的に活動をされ、ノリも良かった。

プログラムは
①コグニサイズ・後出しじゃんけん
法話(老いの坂・一茶の句・老いといのちの硯箱・3つの問い)
③風船バレー

盛りだくさんだったけど、後から参加者から「又今度話をしてください」と言われたことが嬉しかった。
法話のあらすじの大体は佐藤一斎の言志録の
少にて学べば、則ち壮にして為すことあり。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。
の3番目を「還相の働き」として仏教的に体験から語ったもの。


それにしても、一昨日は町民センターからの帰り道、スタッドレスを替えなくて良かったとつくづく感じた。

 

斎藤道三からの手紙

いよいよ歴史モードに入った。
というのは、山県市から大桑城の歴史を調べるために、高鷲にある斎藤道三の手紙などを見に来たいということで、それに参加したから。

山県市からは5名の方(東洋大学の教授など)が来られ、手紙のことから土岐氏や斎藤氏のことをかなり詳しく教えていただいた。
手紙の中に道三が大桑へ出頭したという記述がある。これは大桑城の土岐頼純 の所へ挨拶に行ったということだとお聞きした。私は土岐頼芸だと思っていた。

そして、さらに読み違えていたことがある。
それは木下利忠からの書状の読解についてである。
その手紙を現代語に訳したもの。⇨【天文年間の手紙

御子息様の御元服(満十四・五歳~十八歳まで)の御礼に御太刀大小の二本を差し上げいたします。ここでお知らせいたします。喜ばしく目出度きことお手紙で述べられ従って、上様へ三十疋(銭十文=一疋、又は布地ニ反=一疋)を献上しました。
大変お慶びになられました。
上様からはお返しに五明一本(蝋燭五本を一束)を差し上げいたします。
お祝いの品でございます。
次に御﨟(女官)と乳母へ料紙(紙・障子紙等)を差し上げいたします。
詳しくは御返事にお述べられました。
それはそれで又私共の方へは料帋(料紙のこと)及び包丁刀をお心遣い頂き有難うございます。ご親切の事有難すぎることでございます。
私からはお祝いとして干鰭(ひぼう=干しイナダ=出世魚のブリのこと)二本差し上げ致します。
それについてご扶持(少額の銭)のことは細部にわたってお知らせいたします。
詳しい事情は 左京亮殿へ御返事申し上げるので詳しく書きません。おそれおおくも謹んで申し上げます。

思い違いとは御曹司を鷲見家のと思っていたこと、
上様は守護の土岐氏のことだと思っていたことなど。

教えていただいたのは以下のこと。
「鷲見藤兵衛は木下利忠を介して土岐氏の御曹司の元服祝いの為太刀を贈呈した。
その時、上様(たぶん御曹司の生母)に30疋、乳母へも料紙を差し上げた。
そして、仲介をとってくれた利忠には料紙と包丁刀をお礼として贈った。
上様からはお返しに灯明5本を御祝儀として(藤兵衛に)くださった。
私利忠からは祝言として干しイナダを二本差し上げる。
扶持(多分領地のことでの依頼のこと)のことについては左京亮殿から伝える。」

こういう贈呈をしたのは最後の扶持の依頼をするためで、それが何であったのか、どういう結果になったのかは手紙には書かないものと教えていただいた。
私は全く逆に解釈していた。なるほどと感じた次第。
なお、利忠は反頼芸側の人物だそう。

一番心に残ったことは、手紙の切封のこと。
こんなことは実際にその場で見て、実演をしていただいて、その証拠を見ないと、知ろうともしないだろう。

古文書の封式―切封墨引の古文書を作ってみましょう(デジタルアーカイブ利活用の実例)― – 東寺百合文書WEB (kyoto.lg.jp)

 

三角形はアブダクションを育てる最適な教材

いろいろ考えて次の問題のシートを作成してみた。

これを見ると、すぐにある仮説が浮かぶ。
その仮説が面白い。
そして証明したくなる。

 

これを考えたのは、以前から提唱している「三角形の織りなす現象」が多様であり、数学におけるアブダクション帰納演繹を育てる最適な教材ではないかということを示したいためである。

三角形なら中学生でも理解でき、さらにそれをGeoGebraを用いて遊ぶことができる。
何よりも、このシートを作成した私自身が面白いと思い、ドーパミンがあふれてきたからだ。

そして、不思議だと感じると同時になぜだろうと思って証明に取り組もうと考える。
その証明も中学生で十分可能であり、なるほどと感じる。

どうだろうか。

 

脳内ドーパミンについて

プチ法話会で数学オリンピックの問題を解いたという話をしたら、
「私も数独をしているけど、それはボケ防止で、出来たという感覚が脳内ホルモンを分泌して脳の老化を防ぐからやっている。ただし、難しい問題だとかえってストレスがたまるから最近は簡単な問題をやっている」
と語られた方がいた。

たしかに「できた!」時にドーパミンが出てくるのが実感としてわかる。
そのために問題に取り組んでいると言っても良い。

でも、11日間はできないわけだからストレスがたまるかというと、そんなことはない。このストレスもなかなか捨てがたい。課題を持っているということは生きる励みになるからだ。(これがネガティブ・ケイパビリティということだろう)

昨日不思議に思った問題(角の二等分線=接線)は既に以前証明していた。
ところがこの証明を見てもさっぱり理解できない。
書いたことは覚えているけど、それを読んでもさっぱりわからないのだ。
そこで何だったのか思い出そうとしたけど完全に忘れている。
仕方がないので最初から体験してみた。辞典を見るところから。

だんだんわかってくる。
体験したことはどこかに貯められている。(阿頼耶識に)
さっぱりわからなかったという体験まで
おふくろがよく言っていた。
「どうしてはるか昔の歌を覚えているんだろう」と。
それを何回も思い出して歌うからだ。