「三ケ村山論済口証文」の翻刻

数日前から高鷲に残る山論の示談書の翻刻を試みている。
古文書の勉強には実際に古文書に当たって翻刻するのが一番いい。
今日は病院での待ち時間でかなり進めることができた。

済口というのは示談のことで、大日岳の山麓の村々が土地の使用について争ったのが山論である。入会山だった所へ、他村のものが来て草刈りをするのが困る、と藩に訴えたことから山論が始まる。
この訴え方が面白い。肥料となる草を田に入れられないと収穫が減り、藩の方も困るでしょうからぜひ取り上げてほしいと言っている。でも裁判には時間がかかる。
さらに薙畑を作る問題が絡む。山の草は田んぼの肥料や牛馬の飼料、燃料確保として大切であったので、山の草刈りは必要であり死活問題だったのだ。

また、訴訟の際に当事者の間にたって和解させることを「扱・噯」(あつかい)といい、間に立つ人は、他村の庄屋やさらには八幡町の人を頼んだりしている。
そして、そういう示談でまとまることを「済口」と言い、証文を「済口証文」といって奉行所にとどけられると裁許と同じ効果を生じた。

寛政年間(1798年)に山論が起こり内済で済んだが、文化八年(1811年)になって入会地を使うなとか、刈り取った草を差し押さえたりすることがあって藩に訴えたが、これも内済で済んだ。しかし村民はどうも納得がいかない。さらに他村のものが新道をつくり、入り込んできているというので、文化十年ごろ藩に訴えている。

次はその文化12年の済口証文の内容である。

中切・正ヶ洞・鮎走村山論示談書(森家文書より)

こうやって高鷲の古文書を文化財として残すことをしている。

高鷲古文書を読ままい会(データファイル:PDF)