「テロリズムの子どもたちへ」

昨日は病院で2時間ほど待たされた。
その間、本を読んでいた。
待たせて申し訳ありませんと言われたので、思わず本がたくさん読めたので良かったと言ってしまった。
 
その本は「戦争と日本人」加藤陽子佐高信著。
副題に「テロリズムの子どもたちへ」と書いてある。
この列島でテロリズムに遭った人たちは、「子ども」に殺されているというのである。
この場合の「子ども」と言うのは、未熟で短慮で義憤からテロを引き起こす気性のことを指す。
現代で言えば、ヘイトスピーチやハラスメントをする気性のことである。
 
そして、「先の戦争の謝罪ができないのはなぜなのか」と問いながら
先の戦争と帝国の様子をもう一つの視点から分析している。
それは自ずと日本人論になっている。
 
気づかなかったことがたくさんある。
でも、それは真っ当な感覚、「おかしいな、いやだな」という感覚をベースにする。
理屈は後からついてくるが、その場合、「大人」の感覚が大事だ。
(「大人」の感覚ってなんだ?)
 
私は自分の感覚を大事にしている。
数学においても、私が発見したことが大切なのだ。
自分が発見したことがずっと以前に他の人によって発見されていることは当然である。
大事なことは、既にそこにあった真理の見え方なのだ。
そして、それこそが自分にとって意味をなしていることだ。
 
自分にとって意味を為しているからこそ、他の人の気持ちも理解できる。
そう思って、仏教や数学や社会のことを考えている。
 
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