「法然の問答集を読む」

「落語でブッダ」という番組を火曜日の朝の11時と夜の9時半にNHKでやっていて見ている。
仏教がテーマの落語で仏教を語ろうというところが面白いのと、節談説教に興味があるので見ている。
 
もともと落語が生まれたのは、浄土真宗法話の高座からという。
安楽庵策伝は落語の祖と言われるが、(ちなみに岐阜出身で、その縁で大学の落語大会を岐阜でやっている)
彼は説教師で説教の中に落ち話を入れたところがうけたので、そこから落語が始まったという。
 
テキストを買おうと本屋へ寄ったら、隣に「法然の問答集をよむ」というテキストがあって
躊躇せず買ってしまった。(本が増えるのは恐怖)
 
法然上人がいなかったら、日本に念仏が広まることは無かったであろう。
そして、そのことが当時どれだけ大変なことであったのかがこの問答集には書かれている。
 
読んでいると、いろいろ気になるところが出てくる。
房号で呼ばれているのは法然上人だけであるが、なぜなのだろうか。
法然上人は「選択本願念仏集」のほかは御著書を書かれなかったのはなぜか。
法然上人は純粋に全ての人が救われるという一心で念仏を広めたのだが、
「顕蜜体制」からは弾圧を受けた。
そしてその弾圧は蓮如上人の頃まで続く。
この顕蜜体制は変化しなかったのだろうか。
 
この本の著者石上善応師は、
問答こそが全ての人に念仏を伝える方法として法然上人が選んだものだと言われる。
著書だと読めない人もいる。そして一方的である。
現に、法然上人が亡くなってから造られた阿弥陀像(源智発願)があって、
その胎内に数万人の人の名前が書かれている文書がある。
それを見ると南無阿弥陀仏と書かれた横になもあみだぶつと書いてある。
法然上人はそういった人たちに念仏を勧める方法として問答しかないと考えられたのだろう。
 
法然上人が選ばれたのは「説明責任」ではない。
問答はレスポンスビリティなのだ。
法然上人が選ばれたのはまさしく「応答責任」だったのだ。