「応答責任」と「説明責任」

東海北陸地区セミナーに参加した。
そこで聞いた基調提案が面白かった。
 
レスポンスビリティとアカウンタビリティの意味を対比させながらケアと自己責任論を論じていた。
その資料を置いてきて、はっきりと再現できないのだが書き留めておこう。
 
まず辞書で調べる。
Responsibility 責任(応答責任)
責任(responsibility)とは、元々は何かに対して応答すること、応答する状態を意味しており、ある人の行為が本人が自由に選べる状態であり、これから起きるであろうことあるいはすでに起きたことの原因が行為者にあると考えられる場合に、そのある人は、その行為自体や行為の結果に関して、法的な責任がある、または道徳的な責任がある、とされる。
 
Accountability 説明責任
説明責任(Accountability)とは、政府・企業・団体・政治家・官僚などの、社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使する者が、株主や従業員(従業者)、国民といった直接的関係をもつ者だけでなく、消費者、取引業者、銀行、地域住民など、間接的関わりをもつすべての人・組織(ステークホルダー:stakeholder、利害関係者)にその活動や権限行使の予定、内容、結果等の報告をする必要があるとする考えをいう。
 
レスポンスが応答だから、
レスポンスビリティ(責任)には「応答する」ということが入っているということなのだ。
最近はアカウンタビリティの方を重視する風潮があるが、
私たちの関係性は本来レスポンスビリティである。
この違いを探っていくと、私たちの置かれている状況が見えてくる。
 
「応答責任」は、私たちは一人一人の顔の見える具体的な誰かに対して応答する責任がある。
それに対して、「説明責任」は不特定多数の誰かであり、具体的な誰かではない。
 
「応答責任」は、具体的な誰かであるからこそ、まずその人の声を聞く必要があること。
「説明責任」は、行ったことに対する説明であり、それはすでに想定されていること。
 
「応答責任」は、その一人の人の声に対しての応答の行為であり、
「説明責任」は、責任者が行ったことに対する言いわけである。
 
「応答責任」は、応答そのものの中に相互交流があり、一方通行ではない。
「説明責任」は、自己責任の論理になる。
 
うろ覚えだからまだあったと思うけど、
クレーマーの論理と心理もこの違いから分析できる。
説明を求めるのは、不安だからだ。
応答されないことへの不安が説明を求める心理を生み出している。