「主人-代理人」理論

地区セミナーで「主人-代理人」理論を学びました。最初に問いから始めます。
 
(1) 数値目標を立てさせる評価をなぜやりたがるのか?
(2) 正気で考えればおかしな「型」の教育に積極的に関与しようとする教員がなぜ生まれるのか?
(3) 「スタンダード」の学校では子どもたちはどうなるのか?

この疑問は「主人-代理人」理論という新しい統治理論によって説明できます。これは新自由主義的教育改革の理論的基礎で、政府とそれ以外の主体との関係を対等関係とは見ず主従関係とみなします。
この関係は、金を出している主人が金を受け取る「代理人」の行為をコントロールします。普通この関係では代理人はうまく手を抜いたり、主人の利益ではなく自己利益を追求します(当然主人は代理人を信頼していません)。そこで、主人は
代理人が行うことをスタンダード化します。そして
②スタンダードの実施状況に関する説明責任代理人に求めます。さらに
③設定したスタンダードの実施をめぐって代理人間で競争を組織します。もうここまでくれば次が予想できますね。そうです、
➃達成成果に対するアメとムチを用意します。(評価の給料への反映)

こうなると、代理人は「主人の意思をいかにうまく実現するか」だけが仕事になります。代理人には独自の判断は許されません。彼の工夫の余地は、主人の意思をいかに競争相手よりもうまく達成するかになります。そして、主人の意思に基づく「型」が「よい」ものとして採用され、主人の意思の実現によって「良さそう」と思われる型をとりあえず導入しようとします。
だから、スタンダードを進んで行おうとする教員が増えているのです。この統治理論はナチスのやり方とよく似ています。アイヒマンは「主人」の命令に忠実だった「代理人」だったのです。代理人=教師は個性ある人格として認められていません。だから文科省教育委員会は、同一の授業をすべての教師に要求できるのです。そういう教師が子どもを人格と認めることができないのは当然のこととなります。そして、そういう扱いをされた子どもも他者を人格と認めることができません。
 
 さて、こうやって分析を進めると、何だか絶望的な気がしてきますが、対策はちゃんとあります。その戦略を簡単に言えば、この「主人-代理人」理論と逆のことをやればいいわけです。まとめると、多様性と対話と豊かな表情です。

 一つだけ、説明責任と評価にかかわることを示します。それはPDCAサイクルについてです。発案者のデミングはPDCA(Plan Do Check Act)からPDSA(Plan Do Study Act)にするべきだと言っているのです。
結果のチェックではなく、成功と失敗を踏まえたプランの妥当性の研究(Study)が重要だと言っているのです。そして、トップダウンはトップの誤謬の可能性があるからと否定し、相互依存モデルを構想しているのです。もちろん「数値目標の排除」や「年次や長所による評価」「目標による管理の廃止」を主張しています。
 「PDCAは古いんですよ。発案者のデミングはPDSAが大事だと言っていますよ」というように使うことができるというのが講師からの励ましのメッセージです。