「指導者原理」と「上意下達」

ナチスのことを調べていると、人間の持っている様々な煩悩が浮かび上がってくる。
その一つに「指導者原理」というものがある。
 
国家社会主義ドイツ労働者党」ナチスには、いくつかの理論がある。
「指導者原理」は、その最も基本的な原理である。
指導者が被指導者に対して無条件の服従と忠誠を要求する思想であり、ナチズムの根幹原理。」
「党員は疑問をさしはさむことは許されなかった。」
つまり、
「上位の指導者は下位には無制約(無制限)の権威を持つが責任は負わず、下位の者は上位の指導者に絶対的な責任を負う。」
 
したがって、最上位にいる、民族共同体の指導者であるヒュラー(指導者)=ヒットラーの意向(感情)が全てである。
下位のものが失敗の責任を負うのだから、下位の者は常に上位のものの意向をうかがって行動することになる。
上位のものは責任はとらないから、誰もが責任を取らない無責任体制ができてしまう。
 
この心理や行動はハラスメントで説明ができる。
そして、こういう組織では、人間はロボットになる。
これが、受け入れられたのは、当時のドイツが、軍事国家であり、家庭における「シュレーバー教育」から来ているということは、以前述べた。
 
これは、過去のことだと言えるのであろうかというのが、私の不安である。
原発事故で明らかになった、推進した人たちの無責任さと無責任体制、
上意下達で行われている、様々な現場での無責任体制。
下位のものにはハラスメントの恐怖があり、上位の者にとっては支配欲という快感がある。
人をロボットにし、その結果に対しては誰も責任をとらない。
 
教育の現場において、これがなされたとき、それは教育ではなくなる。
「あなたを守るためだ。」と言ってやらせるのは、明らかにハラスメントであり、「指導者原理」はパワーハラスメントと変化している。そして、それが無意識に行われている分罪深い。