機法一体能所不二

機法一体 能所不二
 
機とはたのむ我々、法とはたすける仏。それは一体である。
能とは働きかける指導者、所とは働きかけられる生徒。それは別々でない。
 
教育は、指導者が生徒に働きかける試み。
その時、両者は対等ではない。非対称である。
だから、そこにハラスメントが入り込みやすい。
 
この言葉は、教育の最も突きつめられた相(すがた)である。
働きかけるものと働きかけられるものが別々ではない。
教師が一方的に生徒に働きかけるのではない。
働きかける仏と働きかけられる私は別々の存在ではない。
念仏は私が称えているが、それは仏が働きかけているからだ。
仏の働きかけも決して一方的ではない。
だって、私が念仏を称えなければ、仏のはたらきは存在しない。