長瀧各坊と武家との関り

高鷲文化財講演会 若宮多門氏の講演があった。


 テーマは表題のものだが、色々な質問が出て、多岐にわたり面白かった。
長瀧の各坊に武家(地頭)から次男や弟が入っているのはなぜかということだが、
これが郡上だけではなく、飛騨の内ヶ島氏(経文坊)や三木氏(大日坊)も入ってきている。
 鷲見氏の場合は竹本坊を買い取って入っているが、当然旦那として資金援助もしており、その際に舞の演者の着る陣羽織にはスポンサーとしての紋を描いただろうという話だった。(例えば加賀の姫神社の紋はスポンサーの前田家のもの)

 飛騨の川上庄には一万三千石(又は9千石)の領地があった。(平安時代
当然現地に地頭がいて年貢を徴収していたので飛騨との関係も出てくる。

 室町になると美濃国土岐氏との関係や戦国時代になって斎藤氏や織田信長との関係については、既得権を認めてもらい生き残るためには、彼らにとってどのような利益があるのかを宣伝し強調しなければならない。(道賀のように信長と会見している人もいる)

 では長滝の御利益とは何か。
・起請文(当事者の間でのもめごとを解決するための契約書)を神前で交わす。
 (現代の裁判所の役目だと思うとイメージしやすい)
・山伏による各地の情報、鉱物資源や薬草などをもたらすことができる。
・白山の宗教としての民衆や武士への精神的価値。
 (織田氏は越前から尾張に来た。白山との因縁は浅からぬものがある)
武家の間のトラブルの収拾に長瀧が間に立つことが度々あった。
・など

 織田信長は宗教を否定していた合理的な人物ではなく、白山信仰もしていた中世的な人物であるというもの実際の証拠を示しながら説得力があった。

 その後、懇親会があったが、ここで出た話の方が面白くて3時間以上語り合ったけどとても記録することはできない。
地域づくりの話では、私は宮本常一師の語った「地元の人たちが豊かな生活をしているから、よそから見に来る」という話を強調した。
もう一つ、本当の意味で神仏習合が今こそ必要ではないかということも。

多門氏が私と同年であることにびっくりした。