「鷲見氏・鷲見郷一覧」の編集作業

まだ途中だけど、目途をつけようと印刷。印刷だけで一日がかり。
もちろん修正は一日では終わらない。
漢文のレ点などをつけるのは、どこかわからなくなってくる。
そしてパソコンに目を凝らしていると見えなくなってくる。

(目が疲れたので散歩。普通の靴でかなりのところまで行けた)

さらに疑問が次から次へと出てくる。
特に系図があまりにも違いすぎる。
それは当たり前かもしれないけど。
印刷して160ページをめくっていると、ここはもっと・・・と欲も出てくる。

鷲見氏の紋を載せたいのだけれど、どれにしようか迷っている。
「剣花菱」だからこの写真が一番きれいかな。

今回鷲見氏のことをずっと調べている方がいて、その調査の結果をまとめたテキストをいただいた。これがすごい。一人であちこち回り現地の写真を撮っておられる。

上の紋もその方から。

白鳥町史資料編を見ていたら次の文書があった。

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長滝法幢坊文書より

鷲見氏保書状

就長滝寺之儀付而、重而治部卿殿を以蒙仰候、先以畏入り候
一 日御料出之儀、如前ゝ異後迄、無別儀、竹本坊可申付候、従惣寺被申候由承候、得其意存候
一 買地並門前役所之儀、右二如申候、竹本坊三代相見仕候間、不及覚悟候由難申候、御異見之事候間、惣寺へ返申候、我等儀、同前二而、如御意、満山於入魂者、向後之儀別儀有間敷候
一 先度如申入候、従惣寺国中へ許諾被申候儀二付而、若従国中、竹本坊へ違乱之儀、被申候者、無疎略段、可申分候、其旨申入候処二、帰雲二御意得給候由承候、肝要候、委細治部卿殿申入候間、令省略候、恐惶謹言
   九月廿日           氏保(花押)
「天文二年癸巳」異筆
                 鷲見
                   氏保
 照蓮寺 貴報

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氏保は1444年に亡くなっているけど、これを見ると長龍寺の竹本坊や白川郷の照蓮寺との関係もあったことが解ってくる。