お彼岸と永代経

午前中は西洞の区の古文書を拝見させてもらった。
注目すべきは地図。
江戸時代には入会権をめぐる争いから地図がいくつも作られている。
明治になってからは地租改正のための地図。

午後からは墓にお花を生け、永代経の案内を一軒一軒に配布した。
夜は借りてきたドキュメントスキャナーを使って、資料を画像にしたり、テキストを読み込んだりした。

次回古文書読ままい会でこの文字を翻刻するつもり。
そして、この白川街道向鷲見道(今は使われていない)をたどってみたい。

とりあえずの翻刻

西洞区長文書
寛政二年戌二月 御上え差上候絵図面控
此所先年より大道御座候也。鷲見村より被申上候得共、大道と名付候道は仰付
□□座候、谷□し道は数多御座候処、戌年御見分の節より鷲見村にて大道と
被申上候は、右処及難砌候。通道之也。被申上候は、先年鷲見村より
論に相成□□五か村相共にて五か村御預り山に相成候。論所に御座候。

助衛門

向鷲見道があるところが、鷲見上野。
上の地図で丸のところが「論所梛畑」3か所ある。

あれからいろいろ聞いて修正したもの。


西洞区長文書
寛政二年戌二月 御上え差上候絵図面控
此所先年より古道御座候也(ござそうろうなり)。鷲見村よりに被(もうし)申上候得共(あげられそうらえども)、古道と名付(なづけ)候道は
無御座候、右仰せし道は数多御座候処(ところ)、戌年御見分の節より鷲見村にて古道と
被(もうし)申上(あげられ)候は、右が道及権砌候通道之也。被申上候は、先年鷲見村より立入権砌之に付
論に相成其節五か村噯(あつかい)にて五か村御預り山に相成候。論所に御座候。
                                西洞村