「民主主義」の退廃

この頃、話し合いをしていて気がつくこと。

いや、昔から気になっていたこと。

司会者はみんなの意見を大事にしようと、全ての意見を聞く。
この場合、トップダウンにしたくないことを意識している。
そして、参加者は、自分の意見を述べる。
もちろんそれはもっとこうしたい、もっと良くしたいという気持ちからだが。
そうすると、要求がだんだん増えていくことになり、それをやる人の負担が増える。

トップダウンはもちろんいけないが、これも問題だとずっと思ってきた。
それは、負担増はもちろんだが、結局みんなの知恵は虻蜂取らずになるからだ。
そして、要求だけを出して、何もしないという無責任に陥る。
やる方も、みんなの意見だからとある意味無責任になる。

以前からそういう時に、
「意見を出した人がチーフになって取り組んだらどうだろう」
と言ってきたが、これは受け入れられなかった。
そうすると、委縮して誰も意見を言わなくなるというのが理由だった。

そんな委縮するような意見なら出すなと言いたかったが、
確かにやっと意見を言えたという人もいる。

そんなことで、うやむやになっていたが、
COを学んで、はっきり言わなければならないと思う様になった。

というのは、その人の思いはその人が実現してこそ充実するのであり
たとえ失敗したとしても、そこから学べることは大きいからだ。
そして、それが運動を拡げていくことにもなる。

具体的には
「~したらどうだろう」「それいいね。じゃあなたが中心になって案を出して」
たったこれだけだ。

要望だけ出して終わりという意識は「民主主義」の退廃だと思う。