教育論議・・・評価について

久しぶりに熱い教育論議をした。

大学の先生、退職した教員、現職のベテラン、新採の若い教師、合わせて5名。
みんな特別支援に関わる教員である。

現場の先生から切実な問題が出てくる。
それをどう考えるのかという楽しくも悩ましい語らいだった。

その中で、現場の教員が評価で苦しんでいるという話が出た。
これは教師が子どもをどう評価するという問題ではない。
教師自身が評価されているという問題。
様々な取り組みをどう評価するかという問題。
教育実践の評価の問題。

いろいろ意見が出たが、結論は子どもによって評価されるというもの。
もちろんそれとて簡単なものではない。
語ることのできない子どももいる。
でも、彼が全身でもって表現している言葉を聞き取ること
それこそが私たちにとって最も大切な評価ではないか。
そういう結論になった。

とすると、評価とは客観的なものではなく、
当事者が人生をかけた体験や経験そものもだともいえる。
だって、聞くことはそういう経験が無ければ聞けない。

こうやって飲みながら語り合うこと自体が評価なのであり、
語ることは物語であり、互いの受け取り方がすでに評価なのだ。

楽しい語らいだった。