教育・子育ての集い

昨夜は関で「教育・子育てのつどい」実行委員会があった。
 
意見をまとめるために板書をした。
板書をしていると、意見をよく聞いていることに気がついた。
長年の習性か。
その板書
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11月に前もっての学習会を持つことになった。
その進め方について、議論になった。
それは、「講座を中心」にするか、その後の「グループワークを中心」にするかという問題。
私は、もちろんグループワークを中心にする方なのだが、
講座中心の意見もよくわかる。
講師の先生の講座を十分にとって、後は質問ぐらいにする。
その方が、意見を言えない人もいるから、気軽に参加できるというのである。
 
ここで、以前から気になっている「欠如モデル」が出てくる。
「専門家の意見を聞いて学ぶことが大事だ」ということは、
今の私たちは無知で、どうするべきかわからない存在だということも含んでいる。
それでは、私たちは専門家の言う通りにするべきだとなるし、何よりも本当の学びになっていない。
専門家の意見も私たちの気持ちも両方とも大事だ。
 
これをどう克服したら良いのかというのが最近の私のテーマ。
これには、両面からのアプローチがある。
1つは専門家からのアプローチ。
専門家は研究をするが、それを普通の人々に提示しなければ意味がない。
問題はどのように提示するかということで、研究をそのまま伝えるのではなく、
普通の人々にも研究に参加してもらうという方法をとる。
もちろん、同じ研究はできないから、参加者が自分自身の体験を表現し、そこから新たなことを創作し提示する
という方法を用いる。
そもそもその研究がその地域の人々にとって当事者であるような内容であることが前提だけど。
例えば、「歴史」と「思い出」⇒歴史は研究、思い出は個人の体験。これをどう結び付けるか。
 
もう1つは、我々一般の側からのアプローチ。
我々自身が、日常の中で様々な「課題」を考えていく。
それは、地域の中で物語として再生されなければならないし、
一人ひとりの体験を共有することが必要となる
 
つまり、一言でいうと、「研究」と「表現活動」をつなげること。
この表現活動だったら、一般の人も参加できるし、それは研究の一部だとも言える。
そして、専門家と普通の人をつなげることは主催者の役割となる
 
そのためにはどうしたら良いのかということが次の課題となるけど・・・
疲れたのでまた次に。