朝井リョウ著「何者」

朝井リョウの「何者」を読んだ。
友人に勧められたことと、若い人が何を考えているのか興味があったからだ。
 
いつもは小説を読むのに遅くて5日ぐらいかかるが、2日で読んでしまった。
実は最初、ツイッターでの自己紹介やつぶやきが理解できなくて、慣れるまで時間がかかった。
が、半分を過ぎたあたりからは、一気に最後まで読みすすめることができた。
 
読み終わって、不思議な感覚に戸惑っている。
それが何かを考えているが、まとまらないまま書き始めてしまった。
 
この物語はツイッターが重要な意味を持っている。
就活が根底にあるが、そこで語られる会話がツイッターを通じて二重、三重のつぶやきとなり、
彼らの行動の意味を明らかにしていく。
 
うっかりしていたが、彼らは5年生である。
そのことが明かされると、主人公の行動の意味もわかってくる。
「何者」という題の意味もやっと最後にわかる。
 
主人公はすぐに人のツイッターを見る。
携帯やパソコンは人の心を覗くツールであると思っている。
それは、観察者として自己の優位を保ちたいという気持ちからだ。
 
逆に、ツイッターに書くということはどういうことなのだろうか。
日記に書いていたことをツイッターで公開するというのはどういう意味だろう。
ツイッターの名前をひらがなにする。それだけで何者かになれた」
彼らのフォロワーは多くはない。
しかし、匿名で思ったことをつぶやく。
政治家で120万人のフォロワーがいる人とは全く違う。
 
「本当は拓人くんはみんな自分よりは不幸であってほしいと思っている。そのうえで自分は観察者でありたいと思っている。」
そう言われて、彼は言葉では否定できないが、就活の面接の中で否定する。
就活で内定が決まらない状況の中で、彼らが追い詰められながらも、傷つけあいながらも、自分が何者であるのかを懸命に探っていく、そういうように読みとった。
 
それは、希望的な読みとりかもしれないが、若者たちに希望を感じたいのは年寄りの希望なのだ。