カントの「5+7=12」について

わくわく図書館があった。
4名の参加。始めの頃は10名いたのだけど。
それぞれのおすすめの本の紹介をした。
それにしても、本を読むことは、著者との対話・そこに載せられている他の著者相互の対話・そして何よりも読んでいる読者との対話が生み出す「拡張空間」だと思う。

だから、本を一回読んだだけで対話が終了するというのは、拡張されていることにはならない。ここで、拡張と言っているのは、知識を得るのではなく、自分で考え、それを応用することである。その本のテーゼを鸚鵡のように繰り返したとしても、身につけたことではない。そこで使われている思考の方法を実際に使ってみないと解釈だけに終わるのだ。

はるか以前にカントの『純粋理性批判』を読んだけど、さっぱりわからない。
いつかわかるだろうと思って、50年以上過ぎた。
でも、そもそも「問題として受け止めている」のだろうか。
問題化していないとわかるコトはない。

さて、カントの問題で一番わかり易いのが表題の「5+7=12」である。
カントは言う。
「5」と「7」と「+」の中にどこにも「12」はない。(これを分析という)
それぞれには「12」という概念が無いけれど、指を折って数えると、12にたどり着く。つまり、「5」と「7」と「+」を越えないと(指を折らないと)「12」にたどり着けない。
もっと言えば、「指を折る」と言う具体的な操作(カントはこれを直観と言う)をしないと「12」にたどり着けないというのである。

なんだ、簡単なことではないかと思う。
カントは、分析では12にたどり着けないけど、直観的に総合すると12にたどり着くと言っているのだろう。
そんなことは当たり前だと感じる。でも、カントはもっと大きな数で確かめてみよと言っている。試しに、5億+7億=12億。(直観的)計算では出てくるけど、私の中には12億という数はイメージ(分析)できない。

カントが言いたかったのは、私たちが「当たり前と思っていることも、よく考えてみると当たり前ではないよ」ということだと思う。

カントはこの直観は、アプリオリ(先験的)なモノであり、それは「数学が厳密なだけでなく、拡張的でもあり得るのはなぜなのか」という問いへの答えでもあった。
神の啓示が直観に置き換わったのである。

このことから、「時間や空間が客観的に実在するものではなく、認識する主観によって構成された現象形式に過ぎない」ということも主張している。
カントはユークリッド幾何学ニュートン力学をベースにして彼の認識論を創り上げたのだけど、これがリーマン幾何学に至り、さらに相対性理論を生み出すベースとなった。

さらに、カントのすごい所は、現象の背後にある「物自体」は認識できないと考えた所にあると思う。

法身(ほっしん)は、いろもなし、かたちもましまさず。
しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。                (唯信鈔文意)