「鶴亀算」と「式の計算」

コンピュータ・シュミレーションが信じられない。
地球温暖化はコンピュータの計算であって、単なる一つの予想に過ぎない。
私たちは、ついそう感じてしまう。

なぜそう感じてしまうのだろうか?
言葉やイメージで考えて(操作して)導き出したものは身体で正しいと感じるのに、
計算で求めた結果は信じられないと感じてしまうのはなぜだろうか?
そもそも「計算の仕組み」って何だろうか?
「式で計算することは考えること」だろうか?
こういった問いを考えてみたい。

まず、「考えたこと」は「式」に変換できる。
それを示してみよう。
例として鶴亀算を取り上げる。 ⇨ 鶴亀算と連立方程式・・・連立方程式の意味 

鶴と亀が合わせて10匹いる。
 足の数は合わせて28本。
 それぞれ何匹だろうか?

左の方はよくわかるのに、式の方はわからないと感じる。
これは子どもたちがよく言っていた。(数学語だから英語のようなもの)
でも、この式は左の図をそのまま式にしただけ。

式に直すことは、言葉(日本語)を数式(数学語)に変換しただけ。
そして、「考え(図の操作)」そのものも「式の計算」に変換できる。
つまり、式を計算することで図のような操作ができるのだ。
これの良い所は、式だと手順化できる。そして、自動化できる所にある。
デカルトたちによって人類は、文字式を使って思考をする方法を見出したのだ。

さらに次の問題を考えてみよう。

リンゴ4個と梨3個で1340円。
 リンゴ3個と梨2個で960円。
 それぞれ一個の値段は?

この問題も図を操作することで解く(考える)ことができる。
(図を括ってみるとよくわかる)
この操作(思考)を式で書くと、右のようになる。

こうしてみると、
逆に「計算することは思考すること」であることが実感できる。

さらに、
この式にする方法は、図にすることが難しい問題にも当てはめることができる。

大小二つの整数がある。
 大きい方は小さい方の4倍より2小さく、
 大きい方の2倍から小さい方の7倍を引くと1になる。それぞれいくつか?

という問題をイメージの操作で考えてみよう。
  大=小+小+小+小ー2
  大+大-(小+小+小+小+小+小+小)=1
こうなると、文字式まであと一歩。
  x=4yー2
  2xー7y=1
文字式を使った方が簡単。
つまり、一つひとつの問題の意味を考えなくても、式に変換することで式の操作ができ、自動的に答えが求まるのだ。
こうなると応用範囲がぐっと広がる

ところが、式にして自動的に答えが出ると、具体的に考えることをしなくなる。
これが、もともと思考(操作)であった計算が、自動化されたとたん(イメージで)考えることを離れてしまう理由なのだ。(梯子の喩え)
そして、この計算することを推し進めたのが、コンピュータによる計算なのだ。
これで、最初の問題を考えることができる。

 「比喩的思考」 ⇨「原理的思考」
  直観的思考 ⇨ 形式的思考
  具体的操作 ⇨ 式の操作  
これはさらに言葉を数式にする発想に発展する。

ここで一番言いたいことは、計算にも意味があるのに、さも自動的に(意味を考えずに)答えが出てくると思う傾向を批判したいのである。
つまり、コンピュータによる計算の意味や結果の意味を考えることこそが、私たちにとって大事なことなのだ。