恩徳讃の「師主知識の恩徳」はイメージできるけど、
「如来大悲の恩徳」はどうやったらイメージできるんだろうか?
という問いかけから始まった。
「凡夫の自覚が大事ではないか」という話も出てきた。
この凡夫の自覚は「環境哲学」のティモシー・モートンのhumiliation(人間の弱さ・脆弱性・恥・屈辱)に拡張できるのではないかということを話した。
そもそも「人間中心主義的自然観」をどうしたら脱構築できるのか。
モートンのことを知らなかったので、AIに聞いてみた。
この答えがとても参考になった。
エコトラウマ+巨大なスケールの世界のイメージ ⇨ 自己の無力さ・弱さ・屈辱的感
そこからhumility(謙虚さ)が生まれるというのが大きな流れなのだけど、これは本を読んでいないからわからない。
だけど、ちゃんと理解(イメージ)できる。
「巨大なスケールの世界」というのは「縁起の網の中」に生きている私である。
このhumiliationは、罪悪深重の凡夫の自覚(無知・無力・不実)と同じである。
ただし、
モートンのhumiliationは、自己中心性が崩れた後も“恥・しょぼさ・偽善”が残響し続けるが、逆に「凡夫の自覚」の方は、仏の光が当たっているから生じるのであり、自己肯定感(生きる勇気)が同時に生まれる。
そして、これは共生の倫理やケアの倫理につながってくる。