煩悩具足の凡夫と行動心理学

昨日は雪が降った。
今年最後のわくわく図書館。
ヘネシーならぬビールを飲みながら話し合った。


さて、煩悩具足の煩悩と心理学のバイアスについて
バイアスとは癖や思い込み。
「人間の様々なバイアスは煩悩と言っても良いのか」という考察をしてみたい。

行動心理学で言われる様々なバイアス(癖・思い込み)を調べてみる。
〇確証バイアス・・・自分にとって都合のいい情報ばかり目に留まる癖
正常性バイアス・・・自分だけは大丈夫と思ってしまう癖
〇ハロー効果・・・光背に目を奪われそれに引きずられてしまう癖
〇自己奉仕バイアス・・・成功は自分の力、失敗は他のせいと思う癖
〇生存者バイアス・・・生還した者からの意見は聞けるけれど、

行動心理学では人間は理性的に行動するのではなく、様々な癖があることを知り、それを利用していくことを目指していると思う。
以前紹介した「〇世界公正仮説」や「〇共有地の悲劇」なども人間の心理まで踏み込んで私たちの思考の癖を分析したものだ。

では私の煩悩とこれらの心理的な癖とは同じなのだろうか。

煩悩は我執・我所執つまり自己中心性。
私はまとめると「勝他」と「利養」と「名聞」だと思っている。
(いわゆる「」と「」と「」は、人間のエネルギーにも転化する)
そして、これに「無知」と「無力」と「不実」という一人の存在のあり方を加える。

これを自覚することが煩悩具足の凡夫の自覚なのだけど、人間の弱さの自覚は良いばかりではない。
例えば、テーラー主義では、「人間は本来怠け者である」ということを前提にしている。だから賃金で釣って生産性を上げるという考え方になる。
一見人間の本質をついているようだけど、そもそもこの前提は間違っている。

煩悩を突き詰めると心理学へと通じるけど、これを取り扱う人間の心理はというように、無限循環に陥ってしまう。
釈尊はこれを無明と表現した。