「共有地の悲劇」

 数日前のわくわく図書館で紹介してもらった「利他とは何か」の中に、人間の「煩悩」「インセンティブ(やる気を起こす報酬)」のことが書いてあった。例えば、「イスラエルの託児所で保護者が迎えに来るのが遅れるので罰金制にしたところ、かえって遅れる人が増えた」(この質問をしてみてイスラエルということが意味を持っていることに初めて気がついた)とか。
 これはむしろ心理学的な問題だと思ったので、以前録画した「危機の心理学」を見た。その中に環境問題に対する心理学的な方略が示してあった。
 まず、人間の普通の心理から起きる問題を示す。それは「共有地の悲劇」という。

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 ある村に牧草地があり、そこは村人の共有地(コモン)として、誰でも自分が所有する羊を自由に放牧するできる。自由に利用できるのだから、村人はそれぞれ自分の利益を増やすために、できるだけ多くの羊を放そうとする。しかし、そうなると一頭当たりの草の量が減るため、羊は痩せて羊毛の量も減る。
 では、村人たちは羊の数を減らすだろうか。そうしない。
 自分が減らしたところで、他の村人が増やしてしまえは自分は損をするだけだし、一頭からとれる量が減ったのだったら、羊を増やすことで羊毛の収穫量を増やすためにさらに羊を増やそうと考える。そのようにすると、共有地の牧草は根こそぎ食いつくされてしまう。
 これが「共有地の悲劇」である。この共有地の例は至る所にあり、最終的には地球に至る。
 ところで、この話を聞いてすぐに気がつくことは、共有している人たちがなぜ話し合わないのだろうかということ。

 このビデオを多くの人に見てもらうといいと思った。

 さて、こういう心理的な問題も含んで環境問題に対処するにはどのような対策の方略があるのだろうか。紹介されていたのが次の二段階モデル。
 これは行動の前に、環境にやさしくしたい、環境保全に貢献したいという態度の形成を目標とする。そののちに、具体的な行動場面で自分の行動が実行されるかどうかが決定される二段階戦略をとる。

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 この図を見るだけでイメージが湧くだろうか。まず、環境にやさしい態度が形成されるには(1)この環境問題が及ぼす影響は甚大で高い確率で生命や生活に影響を及ぼすという「環境リスク認知」が必要。
 次に(2)この問題が生じた責任は自分たちにもあるという「責任帰属認知」。
 そして、(3)自分たちが対処すれば問題は解決可能であるという「対処有効性認知」。

 これらの一つでも欠けると「環境にやさしい態度」は生じない。特に(3)は大事で、これが欠けると「私がどうこうしても何かできるものではない」と考えてしまう。

 さらに次の3つの評価が満たされなければ環境配慮行動は形成されないと考える。一つ目は、(1)「実行可能性評価」で、行動を実行に移すうえでの制約や、実行に伴う知識・能力の有無にかかわる評価。例えばリサイクルをしようにもその地域にその仕組みがなかったり、知識がなかったりすると環境配慮行動につながらない。
 二つ目は(2)「便益費用評価」。環境配慮行動をすることで生ずるコストと便益の相対的な関係に対する評価。その行動が個人的な利益(利便性・快適さなど)を損なったり、手間や労力がかかると行動を阻害する。
 三つ目は(3)「社会規範評価」。環境配慮行動は準拠する集団の期待や圧力によっても左右される。周りの人もゴミの軽減に努力しているとか、期待されているという社会的な規範の影響のことで、これは意外に大きい。

 これらの認知や評価は環境問題だけでなくいろいろなことに当てはまる。