無力であるという自覚

スマホを見ながらバットの素振りをしている近所の中学生。
素振りの動画でも見ながらバットを振っているのかと思ったら、
お母さんが「今オンライン部活なんですよ」と悲しそうに言う。

私は「承認欲求」を満たすために生きている。
でも、それは自分の「存在意義」が見えなくなっているからだ。
この「承認欲求」は、常に(みんなの)中心に居たいと願い、時流から外れることを恐れる。
この場合の時流はネットであり、みんなというのは(ネットの)仲間のこと。

でも、今の状況は、ほんの少しの承認欲求すら満たすことをも妨げる。
そうなると「何をやってもダメ」となり、無力感を持ち、自分の能力と世情や他者をもけなすことになる。

でも、これは逆なのだ。
人間は本来無力で、その無力を補うものは何かを考えるときに智慧がやってくる。
そうやって生きのびてきたのだ。
「それが何の役に立つのか」と思わないで凡庸な抵抗を続けようと思う。

何かを犠牲にしないで、誰もができる地道な抵抗、凡庸な抵抗を、苦しみもがきながら何かが生まれてくることを願いながら。
「凡夫の自覚」と「凡庸な抵抗」が結びついた。