今日友人からこの図を紹介していただいた。
南砺市の上梨白山宮にある白山曼荼羅だ。
加賀にあるにもかかわらず、美濃馬場の曼荼羅(美濃禅定道)となっている。
この『白山本迹曼荼羅図』は、修理銘および諸史料から、白山美濃馬場長滝寺に江戸時代後期までは存在し、制作は室町時代末期にさかのぼることが判明する。本地仏と垂迹神、尾張・美濃から山頂に至る景観をあわせて描く構成、画面中央に白衣の男性が坐し、本地仏からの光明が差す図様などは他例が知られない。原所在が明らかで、美濃側に関わる白山曼荼羅では現存最古級に属し、特異な構成・図様をもつ貴重な作例である。
下左から右へ、さらに右上と左へ、上へ…とジグザクに上に上がっていく。
立花(橘)の白山神社→洲原神社→皿の宮(佐羅早松神社・勝皿白山神社)→梅原(苅安)白山神社→剣(大和金釼神社)→白鳥神社→長瀧寺・白山神社→石堂代(石徹白)中居神社→今清水社→神波田(神鳩)→別山大行事(右側)→オオナムチの命(左側)→白衣の武人(中央、阿弥陀から光がさしている)→大汝(阿弥陀)→別山(聖観音)→白山妙理大権現(中央)→大御前(十一面観音)
洲原神社の神の岩と川に向かった鳥居が見える。
以前から気になっているのだけれど、別山が右側にあるのはなぜだろう?
美濃側からだと別山は左側に見えるはずだけど。
白山禅頂御本地垂迹の由来伝記(森家文書より)泰澄大師伝記